こんにちは。あいの里ブログチーム・法人事務局のKです。

当法人の法人新聞「環」で私が担当した連載企画として、地元・大東市龍間の伝説や歴史、雑学などを掘り下げていく「龍間をゆく」というコーナーがあったのですが、前号(第16号)をもって無事最終回を迎えましたので、アーカイブとして残しておくために、その内容を当ブログに再掲していくこととなりました。

今回は、「環」第12号に掲載した連載第1回「龍間の龍伝説」をお届けします。

旱魃(かんばつ)に 龍が身を裂き 雨ふらす(大東市郷土カルタより)

あいの里竜間がある大東市龍間には、古くから伝わる伝説があるそうです。それが「おちてきた龍(さかれた龍)」伝説。大東ふるさとカルタにも上記のように歌われていますので、大東市民であれば、すでにご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

伝説にはこう記されています。

はるか昔の天平の代、干ばつに苦しむ村を一人の僧が通り掛りました。僧は村人の心を察して一心に経を唱え、やがて満願の日を迎えました。その朝、一天にわかにかき曇り、雷鳴と共に現れた若い龍が言うには、「あなたの仏恩に報い、雨を降らそうと思うが、わたしは龍王の怒りに触れ、命を失うでしょう。でも、その時、必ず雨は降ります」。

昼近くには盆を返したような大雨になり、村人が大喜びしたのは言うまでもありません。でも、若い龍は苦しみもがき、身体を割いて地上に落ちてしまいました。龍頭が落ちた場所が龍頭寺(後の龍光寺)、龍腹の場所が龍腹寺(後の龍間寺。今は廃寺)で龍間の地名由来になっています。ちなみに、四條畷市には龍尾が落ちた龍尾寺が、交野市には竜王山という山があります。

ところで、この僧の名前ですが、諸国を巡遊して徳行を施し、奈良の大仏造営にも深くかかわって「菩薩」とたたえられた行基であると伝えられています。

(「だいとう今昔物語 第50話 龍の伝説」より)

行基が経を唱えた場所は、四條畷市「府民の森」西側を流れる権現川上流に位置する「権現の滝」であると伝わっています。高さ15メートルにも及ぶこの滝は、一説によると、八大龍王の姿を現しているともいわれています。

龍間の由来でもある「龍間寺」は戦後廃寺とされたため、同じ龍間の称迎寺境内に旧龍間寺の本尊が祀られた観音堂が移転されました。観音堂の入口からは、あいの里竜間を含む大東市~東大阪市を一望することができます。あいの里竜間の施設長の名前が「兼俊  彦」であることも含めて(笑)、なにかのご縁を感じます。

ちなみに、四條畷市にある龍尾寺には龍の尾のミイラが祀られているそうで、12年に一度、辰年にのみ一般へ開帳されるそうです。次の辰年は令和6年ですので、来年には貴重な寺宝を拝むことができるかもしれませんね。

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